2010年10月28日

「香川県民文化大学受講記録〜上原まり氏〜」♪。

平成22年10月28日(木)晴れ

香川県民文化大学」にて、上原まり氏講義レポ。

10月の講師は、筑前琵琶演奏家の上原まりさん。

宝塚歌劇団にて娘役トップとして活躍。退団後、琵琶奏者として活躍なさっている方。

演題:「平家物語に見る昔と今」。

「平家物語」といえば。。。

            【祇園精舎の鐘の声 諸行無常の響きあり
            沙羅双樹の花の色 盛者必衰の理をあらはす
           おごれる人も久しからず ただ春の夜の夢のごとし
          たけき者もつひには滅びぬ ひとへに風の前の塵に同じ…】
(祇園精舎より)。

今回は、この平家物語に登場する数人の人物についてのお話。

まずは、「平清盛」
彼は、言わずと知れた平家の頭領。
彼の家は、祖父と父の尽力により、武士でありながら宮中へ入る事ができた。
若い頃は、北面の武士(上皇に仕え、御所の北側を警護する武士)として活躍。
同僚には西行法師もいて、2人は仲良しかつ今で言うイケメンだったらしい。

ベル薔薇のオスカルとアンドレみたいな感じかしら〜揺れるハート

しかも、とっても優しくて「十訓抄」によれば、雪の降る寒い夜、部屋で休む清盛を外で護衛している武士達を部屋で休むように自分の部屋に招き寄せ、自分は別の部屋へ。。。
しばらくして、自分の部屋に戻ると、武士達は疲れていたのかぐっすり眠っていた。
その様子を見た清盛、武士達をそのまま休ませ、自分はそっとその場を離れ、別の部屋で休んだそう。

頭も良く、宋との貿易を試みる等、先見の明もあった清盛。

そんなイケメン&有能&とってもいい人な清盛も、権力を手にすると豹変爆弾

息子の重衡に命じて、清盛の横暴に抵抗する勢力に夜討ちをかけ。。。
この重衡…、なんとexclamation暗くて見え〜ん目と民家に火を点けて明かりをとり、その火は燃え広がり東大寺へ。
寺へ避難していた多くの民達の命を奪い、大仏様まで燃やしてしまいます。

重衡は、壇ノ浦で頼朝に捕まり、奈良へ送られて斬首。父、清盛よりも先に没します。

一方の清盛は、寺の焼き討ち後、熱病にかかって死亡。

清盛の妻の夢には、最も重い罪の者達がおちる地獄へと清盛を迎えに来た地獄からの使者が現れたそうです。

清盛の死後、後継ぎに恵まれず、壇ノ浦で平家は滅んでいくのですが。。。

〜平家物語に登場する人物達について〜

【齋藤別当実盛】

元は、源氏の兵士で頼朝に仕えていた。
頼朝の命により義仲の父が殺された際、木曽へ義仲を送り届け義仲の命を救った。
平治の乱後、平宗盛に仕えるようになる。
1183年:篠原の戦いで、平家軍は木曽義仲率いる源氏軍と合戦。
篠原(石川県加賀市)は実盛の一族同門の地。当時、70歳超の実盛はこれを自らの最期の戦と決し、赤地錦の直垂を着、年老いた武士と情けをかけられないよう白髪を墨で黒く染めて出陣。
実は、この時、義仲は、「実盛だけは殺すな」と兵達に命じていたのである。
だが、白髪のはずが黒髪、華やかな装束に、それと気付かない義仲軍の手塚太郎光盛と一騎討ちとなり討死。名乗る光盛に対して、実盛は名乗らず、戦ったという。

年寄りだからと手心を加えられる事なく、相手と全力で戦って果てるという最期(最後)の戦いに挑むという「自らの死を自分で演出する武者魂」が称えられた武士。

石川県加賀市手塚町に、実盛が髪を染めて若い姿で戦いに挑むという話を知っていた樋口次郎兼光が、実盛かどうか確かめる為に彼の首を洗った「首洗い池」があり、同県の多太神社に彼が篠原の戦いで被っていた兜が保存されている。

【平敦盛】

笛の名手。兄:平経正は琵琶の名手。兄弟共に美男子であった。
一ノ谷の戦いで熊谷直実(くまがいなおざね)に討たれ、若かった敦盛を直実は手厚く供養し、人生の無常を感じて出家した。直実は、最初若い彼を見逃そうとしたが、自分の仲間達が数多く迫ってきており、他の誰かに討たれるよりは、自分が討った方がいいだろうと判断し彼を討ったそうだ。

。。。と、いうのが、平家物語でのお話。。。

実は。。。当時、戦に出陣する時は、自分の領地を信頼出来る人に守ってもらって戦地に赴く風習があり、直実は、おじさんに預けて出陣した所、おじさんが直実の領地を自分のものにしてしまった。
戦地から戻り、直実とおじさんがもめているので頼朝から共に出頭せよ!とのお達し。
頼朝の前で上手に申し開きをするおじさんに対して、口下手な直実は上手く話せず、頼朝はおじさんの方の話を認めてしまう。この事を嘆いて仏門に入ったのが本当のお話では?という説もあるんだとか。

【文覚上人】(遠藤盛遠)

源渡の妻:袈裟御前に恋をして、既に夫のある彼女の事を諦めなかった。
困った袈裟御前は、盛遠に「今日、私は、夫が帰宅したら酒を飲ませて夫を眠らせます。夫の部屋の灯りが消えたら、夫の首を斬ってください。そうすれば、私はあなたと一緒になります。」と伝え、躊躇したものの実行を決め、真っ暗な中、彼女の夫の首を斬った盛遠。
すると、部屋には月明かりが。。。
月明かりにその首をかざしてみた盛遠が見たものは爆弾。。。愛しい袈裟御前の首たらーっ(汗)。。。
袈裟御前が、自分の命と共に盛遠の自分への想いも絶つ道を選んでいた事に気付いた盛遠は、自分を恥じ、出家したそう。

【平知盛】

清盛の四男。宗盛を補佐し、実上の総大将として源氏と戦った。
壇ノ浦の合戦で平家が敗れ、安徳帝が二位の尼に抱かれて入水するのを見届けると「見るべき程の事をば見つ。今はただ自害せん」と言い、重りとして鎧二領を重ね着し、海に飛び込み最期を遂げる。
イヤな事は避けてたいものであるのに、全てを真正面から見据えて、水の中へと没した彼の姿が後の世の人々の共感をよび、「船弁慶」や「義経千本桜」等の演目で、長く語り継がれ、永久の命を得ている。

【小宰相局】

平通盛の側室。2人はとても仲が良く、戦地にも一緒についていっていた。
一ノ谷の合戦前、小宰相は通盛に身籠もっている事を伝え、きっと生きて戻ってきてくださいと懇願。通盛も戻ってくると約束するも一ノ谷で絶命。
通盛の死を知った小宰相は来る日も来る日も悲しみ、遂に通盛の後を追い海に身を投げてしまう。

主役の男達を支える女性達の存在も、物語が今もなお語り継がれている理由であろう。

「平家物語」の「無常」という言葉のとおり、永遠というものは決して存在せず、栄えるものも必ず滅びる。

だからこそ、もらった「生」を大切に生きていこうという思いが「平家物語」には込められている。

自分の人生をせいいっぱい生きる。与えてもらった「命」を大切にする。

今の世に必要な思いだと思った。頑張って生きてさえいれば、なんとかなるさ〜手(チョキ)


母曰く、「人生には、その人が乗り越えられる試練しかやって来ない。」そうです。

乗り越える事ができるはずだからこその試練なら、乗り越えちゃいましょう手(チョキ)

ちなみに。。。宝塚公演。

上原さんによると。。。

確かに男役はカッコイイので釘付けになるのはわかりますが、女役は練習の時から演目の雰囲気に合わせた衣装を着たり、においのあるものを食べないようにしたり、太らないように尽力したり、そっと男役の人にハンカチを手渡したり…と色々気配り・心配りも大変なのです。
なので、できれば、娘役の事も、見てあげてください☆。との事です。
posted by みぃみ at 08:00| Comment(0) | TrackBack(0) | 講義 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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