
映画:「バードマン」。
原作があって、映像技術と音響効果を活かして、画面いっぱい大騒ぎ、スパイス的にイイ話と切ない話の加わったヒーロー作品や続編物が次々と公開!な現状に、抗おうとしてるのか、警鐘鳴らしてるのか、肯定せざるをえずないのか、その現状の中で生きていくことにするのか、主人公の気持ちはどう結論つけたのかな?と思った作品。
主人公の気持ちが分からないままなのは、たいした事では無いのだけれど。。。
座席が動いたり、映像が特別だったり、匂いや風がでてきたり、そういう風に映画館が整備されてるのは、作品がそういう作りで、そういう作りの作品が増えたから映画館がアトラクション的な作りになってきたわけで…。
そいういうアトラクション的な作品にしかお客さんが集まらないから、そういう作品になるんだ、本当はもっと他に作りたい作品があるんだ、という主張をしたいのなら、腑に落ちない。
出演者さん達は、ど派手なアクション・ヒットする(お客さんが入る事)事うけあいの作品に出演し、巨額の報酬を得て、裕福な暮らしをしているんだよね。
アトラクションを望むお客さんと高い出演料を手に入れる出演者、需要と供給がマッチしてるんだよね。
で、爆発的ヒットした作品もそのうち飽きられて、うまくシフトチェンジできなかった役者さんは落ち目になる。
という事は、その作品も役者さんも、記憶には残るけど、心には残らなかった、って事でしょ。
で、落ち目になってから、本当は、心に残る作品が作りたいんだ!!って、主張されても…ね。
記憶に残る方で、いい思いを過去にしてきたのなら、プラマイゼロな人生なんじゃないのかな…。
事実、心に残る作品は、上映劇場増えていくし、パッケージ化されても人気は何年も続く。
かなりの年数が経っても、「あぁ、こうこうこういう話だったよね」って、ちゃんと思い出せる。
空調も音響も映像も素晴らしい映画館で、
社会にちゃんと伝えなくちゃいけないことだからと、
人や動物が爆風や攻撃で
血飛沫あげながらバラバラになっていく様子を
上映されても、観に行こうと思えない。
映像は、進化しないんだもん。
ロングランしたとしても、何ヶ月間も作られた時のままの繰り返し再生。
そこに熱量は無い。
観た人は、あぁ、大変なのね、怖いわね、改善しなきゃね、とは思うだろうけれど、たぶん時の経過で忘れる。
何ヶ月か毎に今はこうです、と、映像が更新され続け、公開され続けるなら別だと思うけれど。
舞台用の長台詞を映像化するのも、そう。
劇中、バードマンの、観客は、長台詞なんか望んでない、は、分かる。
快適な環境で、シェイクスピアみたいな回りくどい表現がつづいたら寝るって。。。
生身の人間が目の前で喋るから、長〜〜〜い台詞も観ている人に伝わるの。
同じ内容でも、回を追う毎に進化するから、変化するから、伝わるの。
延々と撮った時のままのものが繰り返されても、もし、話題になったとしても、数年で忘れ去られるよ、きっと。
「上映期間中に映画館に行かないと観られない!」という時代から「ほんの数ヶ月で安価で自宅で鑑賞できるパッケージ化」な時代になっちゃった今。
興行収入多い作品は、派手な作りなものになっちゃった…。
これから先。。。
映画として作る事で、観た方も作った方も満足できるもの、って、何なんだろう…。