
舞台:「NODA MAP 第19回公演−エッグ」。
【作・演出】野田秀樹
【音楽】椎名林檎・【美術】堀尾幸男・【照明】小川幾雄
【衣装】ひびのこづえ・【音響・効果】高都幸男・【振付】黒田育世
【映像】奥秀太郎・【美粧】柘植伊佐夫・【舞台装置】瀬崎将孝
【キャスト】
妻夫木聡:阿倍比羅夫・深津絵里:苺イチエ
仲村トオル:粒来幸吉・秋山菜津子:オーナー
大倉孝二:平川・藤井隆:お床山
野田秀樹:劇場案内係・芸術監督
橋爪功:消田監督
ストーリー:
舞台の梁の裏から見つかった寺山修司の遺稿『エッグ』。
それを作品として蘇らせようとする芸術監督(野田秀樹)。
リアルタイムで進む原稿の読み解きと、作中世界が混じり合いながらの場面進展。
架空のスポーツ種目「エッグ」に情熱を注ぎ、オリンピックで栄光を掴む日を夢見続ける二人のアスリート。
歌い、踊り、そして二人の間で心揺れ動く女性シンガーソングライター。
二十世紀最大のカルチャーとして君臨した「スポーツ」と「音楽」。
そこに向けられる大衆の熱狂。愛情、嫉妬、世代交代。
様々な私欲が絡み合い、さらに時代の見えざる手に翻弄される登場人物たち。
しかし、物語の表層は徐々に卵の殻の如くヒビが走り、内包していた「真の姿」を見せはじめ、現代を生きる我々がかつて“知った気になっていた”哀しく鮮烈な、かの時代へのレクイエムを描き出すのだった。

新種目としてオリンピック出場を目指している団体種目「エッグ」。
チームの英雄粒来は、その地位とオーナーの娘である歌姫:苺イチエを、飛躍的な活躍をみせた新星選手:阿倍に、奪われる。
大好きなイチエと結婚生活を送り、人々に新英雄としてもてはやされる阿部。
けれども、阿部の幸せの先には、別の筋書きがあったのだ。
外科医ときけば、男性の医者
巨大組織のオーナーときけば、百戦錬磨の熟年男性
オリンピックときけば、開催予定の2020年東京オリンピック、又は、1964年の東京オリンピック
質問に対し、反射的に思い浮かぶ回答。。。
けれども、外科医もオーナーも女性かもしれないし、オリンピックは、開催されなかった1940年の東京オリンピックの事かもしれない。
そう考えると、普段、いかにイメージの擦り込みの中で生活しているか、に気付かされる。
メディアやネットで、「今のトレンドはこれ!」、「社会で起こってる出来事の要因はこれ!」と、しょっちゅう目にしていれば、流行の最先端はそれなんだと思うし、善悪の判断は、手に入る情報からおこなってしまう。
「思い込み」と「先入観」を覆しながら、進んでいくストーリーは…。
オーナーは若い女性であり、いかつい男達のスポーツであるエッグは、実は、白衣の天使の行動から生まれたものであり、この話でいうところのオリンピックは、開催されなかった1964年のオリンピックの事で、更に、この物語の舞台は、日本ではなく、満州であり、阿部のあみだしたエッグ必勝法「卵に穴を開け割らずに中身を抽出する方法」は、IBMがナチスドイツに提供したパンチカード機器『ホレリス』によるユダヤ人の判別方法であり、新進スポーツの「エッグ」は、細菌兵器製造及びワクチン製造を隠すためのものに、話が進むうち、姿を変えていく。
快活で躍動的なものが、いつの間にか、陰鬱で隠密的なものに変わっていく様子に、情報操作の恐ろしさを感じた。
売れっ子歌手イチエとスポーツのエース阿部の結婚、阿部に座を奪われ、遺書を遺して死んだ粒来。
でも、実の所、イチエの結婚は、利益を手に入れようとする大きな力により仕組まれたもので、大衆の祝福の盛り上がりにより、逃げ場が無くなり仕方なく結婚したもの。
阿倍のスターダムへの躍進は、実は生きており細菌兵器製造にかかわっていた粒来が、犯罪発覚の際のスケープゴートに使うための下準備。
スター同士の華やかな結婚生活、悲哀の元英雄という話題性のみ公表され、これら真実は闇の中。
劇中「人は、番号で呼ばれ始めると、とたんに、重さが軽くなる」との台詞。
実験台にされる人がナンバリングされて、番号で呼ばれて実験される場面。
今年の10月から国民全員に番号が割り振られて、全ての情報がその番号に集約されるシステムが稼働するけれど、個人の重さを大切にしてもらえる社会であって欲しいと思った。
誰でもいつでも広範囲に向けて情報発信可能になった現代。
発言の正誤は問題ではなく、情報が次々と上書きされていく事で、全く別の真実が作り上げられていく。
今日まで語り続けられている歴史も、実は権力者達の力で書き換えられた真実なのかもしれない。
そう思ったら、「言葉」って、とても重要な位置づけなんだなぁ、と思った。
全てを計画した女性オーナーの「大衆には、週に1回、スポーツと音楽を与えておけばいいの。そうすれば、たいていの不満や疑問は消え去ってしまう」という台詞。
オリンピックや各種世界大会の観戦、音楽や映像は、人心を高揚させ、その力は、抱えている負の気持ちを忘れさせてくれる。
その高揚感で心潤わせたくて、日々頑張ってる私自身。
踊らされてる、とは、思いたくないけれど、踊らされてるのかしら?:笑。
ま、踊らされてるのなら、全力で踊るっ!!!。
とはいえ。。。
今、生活している事全ても、誰かの意図通りの作られたもので、
自分の意思のつもりの行動も、実は他人の思惑なのかもしれない、なぁんて、少々怖くなった。
舞台の妻夫木君、初鑑賞でしたが、声もよく通って、動きも滑らか、笑いと悲しみの緩急も上手。
仲村トオルさん、セミヌードの上半身、彫刻のように美しい、胸筋のふくよかさ、羨ましかった。
深津絵里さん、ゴスロリファッションもヤンキー言葉も女の子な言葉も自由自在。
ハイヒール履いて、歌って踊って…なんでもできる方なのね。
三谷幸喜さん脚本の「おのれナポレオン」で演じた、おつきの者達をチェスの駒のように自在に操り、自らの死を演出したナポレオンそのものの野田秀樹さんに、心操られた衝撃の舞台だった。